‘98年、留学のためローマに移住した1か月後にすぐイタリア人の恋人ができたことで、イタリア社会へ溶け込むのや、イタリア語の習得がぐっと早くなりました。彼はローマ大学で日本語を専攻し、日本のアニメやゲーム、コンピューターに詳しい5歳年下のローマっ子でした。最初に何よりも苦労したのは、「はっきり意志表示をする」ということを激しく求められたことです。
京都という保守的な土地で育ち実家から出て暮らしたことがなかったため、それまでのわたしの生き方には全く存在しなかったこのコンセプト。あうんの呼吸の社会で「自動的に」生きてきたわたしにとっては、自分の中から毎回勇気を鼓舞して力を絞り出さないといけないくらい、大変なことでした。「何を考えているのかわからない」「黙っていられたらたまらない」と、世界で一番わかってもらいたい人(その時は恋してますから)から容赦なく非難されるのは、それは辛いものがありました。その甲斐あってたくましーく成長したわたし。いまではイタリア人とたとえ議論になっても負けません。
彼の友人達にとどまらず、彼の家族それぞれの交友範囲を覗き見ることができたのも、イタリアに住み始めて間もないわたしにはとても興味深いものでした。彼のお父さんは成功した弁護士で、ローマの上流階級(にも勿論いろんな種類がありますが)を初めて垣間見たり、彼のお姉さんはクラシックアートのキュレーター、ご主人はミュージシャンなので家によくそういう人たちが居たり。
その彼とお別れしたあともいろんな方とお付き合いしましたが、「イタリア人男性はこう」と言うよりはむしろ、「身近に居る人は自分の鏡」といいますが、まさにわたしの成長度合にあわせて出会う男性のタイプも変わっていったと思います。お付き合いする男性のタイプだけでなく、道で声をかけられる男性のタイプまで時とともに変化していくのですから、同じ波長の人同士が引きあうというのがよくわかります。
右も左もわからず自分に自信があまりなかった頃は、軽いノリの男性から声をかけられたり、コミットメントフォビアの男性ばかりに出会ったり(好きになるときにはそんなこと知らないのに)でしたが、自分が成長していくにつれ、わたしをちゃんと尊重してくれて大事にしてくれる人と出会うようになりました。
一概にカテゴリーづけできないとは言っても、やはり国によって何らかの傾向はあるでしょう。ということで、「敢えて」イタリア人男性の姿を浮き彫りにしてみよう!という試みをしてみました。イタリア人男性の総数に比べあまりに標本数が少ないので、判断基準にはならないかもしれませんが、それでも何かおぼろげに見えてくるものがあります。
ここでは、イタリアにあまり詳しくない普通の日本人女子の視線として、知人のHMさんに登場していただきます。イタリアにはこの夏初めてフィレンツェとベネツィアに旅行したという、広告業界で働くOLさんです。彼女の質問に対し、わたしの友人イタリア人男子が回答してくれます。(岡田直子)
↓フィレンツェでのHMさん
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