サイト管理人の桝山寛です。前回の更新が、2月24日ですから、2か月以上も間が空いてしまいました。予定では、ローマのお薦めポイントなどを、イタリア在住日本人やイタリア人に聞いてみようという、このサイトが本来イメージしていた、コンテンツをアップすることになっていました。
2011年03月11日、私は東京、岡田直子さんは京都に居ました。幸い、どちらにも直接の大きな被害はありませんでしたが、”イタリアの旅行ガイド”的な文章をアップする時期ではないと判断し、更新を中止しました。
その間、イタリアでは、日本の震災・原発事故について、どんな報道があったかは、次の記事で、岡田さんが報告してくれる予定です(4月28日アップ予定)。
ここでは、”イタリアについて書く”という本サイトのテーマから離れますが、この時点で書いておきたいことがあります。
私がこのサイトを始めた大きな理由は、ここにも書いたように、日本が、これから”量的な成長より、質的な充実”を目指すべきではないかという考えとともに、それにはイタリア人の生活スタイルがヒントになるのでは、という発想があったということです。
福島県や近隣の地域はもちろん、福島第一から230km離れている東京で、事故から一ヵ月半経った今でも、放射性物質の影響が心配されています。といっても、実際に”健康に害があるかどうか”は、実は、本質的な問題ではないと、私は思っています。
タバコならば、”健康に害があるとわかっている”上で、納得して吸ったり、禁煙のエリアを設けることで、ある程度、社会的な受容がなされています。
一方、今回の原発事故は、”すぐに、避難しなければならないレベル”と、”普通に生活していても大丈夫なレベル”との間で、”誰もが確信を持てない”状態です。権威ある科学者も、何千万人の視聴者を持つ大メディアも、今度ばかりは、信頼を失っています。かといって、大した根拠も無いネット上のセンセーショナルなデマまがいに、いちいち反応する気にもなれません。
この、日常生活をどう送るべきかについて、数千万人が”確信を持てない状態”にある、ということこそが、最大の問題だと、私は考えます。
そして、仮に、状況が今以上悪くならないとしても、一部の物質の放射能は、10年経っても、100年経っても、無くなるわけではありません。つまりこれは、単純な電力供給についての問題ではなく、広く、長期的な意味で、生活スタイルをどう選ぶかという問題なのです。
イタリアでも、原発に対して、色々な意見があります。おりしも、今日、ベルルスコーニ首相の”福島第一原発について「原発建設を認めるべきではない場所に、原発が建てられた」”という発言が伝えられてきました。
私自身は、原発推進派ではありません。専門家ではないので、数年かかるか数十年かかるかは、わかりませんが、現存の原発は停止させ、原発以外の割合を増やすべきと考えます。理由は、仮に、今回のような事故が、1万年に1回しか起こらないとしても、また、極論をいえば、放射性物質が、ほとんど健康に害が無いとしても、上に書いたように”日常生活に確信を持てない状態”が、人為的な事故によって、何百年も続くようなことは、もう止めた方がいいと思うからです。
もちろん原発だけではなく、戦争や貧困など、”日常生活に確信が持てない状態”をもたらす要素は、他にもあります。ただ、それについては、歴史からの学びもあるはずですし、基本的には”減らす方向”で、国際社会のコンセンサスがあると思います(絵に描いた餅だとしても)。
本サイトで、これ以上、原発うんぬんの話題を、私自身が書くことはしません。上記以上の意見が、あるわけでもありません。気にしたいのは、その先です。脱原発を語ると、”電力が圧倒的に不足します”、”GDPが激減します”という反論が出ます。そんなことは、充分承知です。私の本職はファンド・マネジャーですから、経済は長期的に”プラスサム”であるのが望ましいことは、知っているつもりです。
では、電気が今の半分しか使えないとしたら、一人あたりのGDPが半分になったとしたら、いったいどうなるのか?それは、”日本の終わり”なのでしょうか?
電気はともかく、一人あたりGDPが、日本のちょうど半分なのが、イタリアです。そのイタリアには、どういう問題があるのか?そして、どういう楽しさがあるのか?それが、当初からの本サイトを通底するテーマであり、記事を書き、編集する際の基本的な姿勢です。あらためて、この時期に、自戒も込めて。(桝山寛)
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