2011年06月20日以降、本サイトの中身は、すべて下記の”MISHMASH*”に移行します。
なぜ移行したか、MISHMASH*とは何か?そちらのサイトで見てくださいねー。
よろしくお願いします。
サイト管理人・桝山寛
2011年06月20日以降、本サイトの中身は、すべて下記の”MISHMASH*”に移行します。
なぜ移行したか、MISHMASH*とは何か?そちらのサイトで見てくださいねー。
よろしくお願いします。
サイト管理人・桝山寛
コーネリアスが全面プロデュース、もちろん美島さんも全面参加の”salyu × salyu / s(o)un(d)beams”。2011年3月の発売予定が、震災の影響で延期され、ようやく昨日(2011年4月13日)発売になりました。
そして明日(2011年4月15日)には、イベントで何度もお世話になった、大井町のaudio music bar Onpaが閉店してしまいます…。以前から、そのような話を聞いていなかったわけではないのですが…。実は、このウェブサイトを作るようになったきっかけも、私(桝山)が美島さんとOnpaで会ったことなので、個人的には、とても残念です。オーナーのIさん、お疲れ様&ありがとうございました。
本来であれば、発売直後になるはずだった、Onpaでの”s(o)un(d) beams”試聴イベントを、3月27日に行いました。メインは美島さん持参の24/96ファイル。
例によって、参加していただいた方のツイートを、いくつかご紹介。
@oshioki ぶるぶるさん
@MASU_YAMA イベント泣けちゃいました。この時代のこの時に、この音に出会わせてくださってありがとうございます!またぜひ参加させてください!
@sato3104 SATOSHI KATOU(加藤聡)さん
堪能しました。続きをの歌詞がめちゃよかった。RT @MASU_YAMA: コーネリアスのpgm美島さんを迎えての、Salyuナイト@大井町Onpa、24/96ファイル。音質は、もちろん最高なんだけど、これ以外の音質で聴いてないので、比較できないw。
@polygra てらさわ さん
salyuの前知識ないまま来てみたんだが、おもしろい歌い方するなーと、というかこれ、クルーエルグランドオーケストラのfamilyのコーネリアスremixの正式アップデートな感じがするな
@gamme TAKIGUCHI gamme さん
こんばんはー、Salyu聞きにきましたー (@ ONPA) [pic]: http://4sq.com/en9HKO
@okc37 o.k.c. さん
s(o)un(d)beams、コーネリアスプロデュースっていうより、コーネリアスとsalyuって感じ。drop明るくした感じのやつとか、波の音とか。かなりコーネリ濃度高い。すごい。
@nurumo にしやましずか さん
@MASU_YAMA @separate_stem @technorin お疲れ様でした。Mirror Neuroticよかったと思います。リーダーのギターの存在感はデカイです!
@sato3104 SATOSHI KATOU(加藤聡)さん
salyu×salyuもよかったけどなんだかんだ最初の一音でやっぱいいわ〜って思いましたね。RT @technorin: Salyu ナイトじゃなくなりました、、、コーネリアス 96/24音源ナイトです、、、、
そして、4月4日が誕生日の美島さんに、サプライズで、みんなからケーキをプレゼント!
美島さん、照れながらも嬉しそうですw。労作な似顔絵つきwケーキ作成は、吉祥寺のカフェユッカさん(@cafeyucca)。
皆さん、ご参加ありがとうございましたー。
企画・コーディネイト:@MASU_YAMA
投稿情報: 2011/04/14 カテゴリー: 美島さん・出演イベント | 個別ページ | コメント (0)
”Sensuous"の24bit/96kHzファイルを、いいオーディオシステムで聴いてみたい!という主旨で2010年10月に始まった、美島さんのコーネリアス音源・DJイベント。11月はリマスターの発売に合わせて”Fantasma"だったので、今回のテーマは”Point"です。
といっても、アルバムを単に流すだけではなく、世界じゅうで美島さんしか持っていない、門外不出の極秘ファイルがド頭にプレイされ(しかも参加者全員が爆笑するような音声ファイル、内容は書けません…)、ディープ度は一気にマックス。
”Point"制作時のよもやま話については、すでに美島さんに取材済みなので、またここのサイトで書いていきますが、オーディオ的におもしろかったのは、美島さんが、今回のDJイベントのために、全曲あらためて聴きなおしてみて、新たな発見があったという話。
それは、”録音に1年くらいかけているから、最初の頃に録った曲より、後の方で録った方が音質がいい”ということだそうです。耳に自信がある方、"Point”のどの曲が後の方で録音したのか、あててみませんかw。もちろん、アルバムの曲順と制作順は、基本的に関係ありません。
"Point"は2001年発売ですから、制作はその前、つまりもう10年以上前なんですよね。音楽制作の技術や手法が激変した時期ですから、美島さんも小山田さんも、制作しながら進化してたわけですね。
"Point"の最後は、生ピアノのシンプルなコードがガーンと鳴って終わるんですが、その後、1分くらいは音声が続いています。それは、生ピアノの残響が、録音現場で聴き取れる間は、フェイドアウトをせずにマイクをオンにしたまま、録音を続けていたそう。
ピアノの音が減衰して行くにしたがって、録音時に必ず残ってしまうホワイトノイズが増えていき、最後の方ではスタジオでの小さい動きの音が聴こえています。そして、最後の最後、ピアノの前に座っていた小山田さんが、イスから”ガタッ”と立ち上がる音で終わっています。今回、ONPAの高音質&大音量で聴いてみて、よーーーくわかりました。
"Point"は、制作時に24/96で録っていない(まだそういう時代ではなかった)ので、16/44.1というスペック。今回プレイしたのも、市販のCDと同じ質のはずなんですが、美島さんが持参したファイルは”工場に納品する前のもの”だそうで、スペックではなく、経験的には音質がCDより良いそうです。
"Point"の後は、これも美島さんしか持っていない24/96でコーネリアスが参加している新しめの曲を。個人的には、最後にかかった某曲の、オリジナルとはコードをまったく変えてしまうアレンジが、かなりおもしろかったです。AORというかジャズ的なコードの印象。あのヴォーカリストに!
で、いつも思うんですが、ダンスやラウンジでのトークがメインではなく、”音質”がウリのこのDJイベント。”オーディオおたく”のための、一般人には理解しにくい内容と思わがちかもしれませんが、参加者のほとんどは、24/96といわれても、何かわからないような方々、つまり”音楽ファンではあっても、決してオーディオマニアではない”タイプです。
参加者の方のツイートから…
polygra さん:つか11人の参加者のうち、女性8人というのも何だかすごい。ある意味ピュアオーディオの世界で、男性向けのイベントだと思うんだけどな。コーネリアスによって入口障壁が下がっているのか。 #2496cornelius
女性が多いのは、もちろん美島さんがモテるからですがw、リピータが多いのもこのイベントの特徴で、音楽好きであれば、自分の好きなアーティストの曲を”いい音質”で聴いたら楽しい、ということは、一回でも体験すれば、充分に伝わっているのかなと思います。リピータの方は…
pandachopanda さん:@MASU_YAMA 今日も濃い内容で面白かったです。参加出来て良かったです。ありがとうございました~。
もちろん、初めての方からも…
SongZooe しー さん:大井町music bar Onpaにて、コーネリアスを24bit 96Khz音源で 聴く会に行くことができた。(エンジニアの美島さん選曲)あんな素晴らしい音で物凄くレアな音源まで聴くことが出来るなんて光栄でした!ありがとうございました*また行きまーす。
oshioki ぶるぶるさん:@MASU_YAMA コーネリアスナイト、真っ正面の特等席で聴かせていただきました!最高です☆ありがとうございました〜♪
…というツイートをいただいてます。一回に10人くらいしか体験できないので、あまり広く知られるのも困るんですがw、美島さんと直接話せるオフ的な場でもあるので、ネタと美島さんのモチベーションが続く限りwは企画したいと思います。皆様、ありがとうございました。
以下は、audio music bar ONPAのオーナーIさんのツイートから、おもしろいのを抜粋w。
technorin ONPA: コーネリアスナイトに限り女子率が異常に高いONPAです、、、しかもかわいい、、、
technorin ONPA :うおー、セットリスト見せられねーし、、、ありえんリミックスとか、、、、
technorin ONPA: あぁ、生きてて良かった、、、てか店やってて良かったぁ、、、、
technorin ONPA :なんだか、美島さんの持ってきたファイルの方が、リッピングしたのより、格段に音がいいのは、気のせいだろうか、、、
technorin ONPA :って美島さんに聴いたら、確かにオリジナルデータのCDにプレスする前の物の方がなぜか音がいいんだよね。デジタルなのに不思議だよね。とのこと、、、、今日は、デジタルの奥深いところまで到達した。貴重な体験だ、、、
企画・コーディネイト:@MASU_YAMA
投稿情報: 2011/01/30 カテゴリー: 美島さん・出演イベント | 個別ページ | コメント (0)
えー、サイト管理人のマスヤマです。更新が遅れまくっていて、すみません。2月には、かなりのボリュームでお送りできる予定です。
今回初めて、文字起こしではなく、ラジオっぽい感じで5分くらいだけ近況をうかがってみました。
コーネリアスのプロデュースによる、Salyuの新譜情報サイト。Salyu x Salyu
"Fantasma" 制作時に”ハンダ付けマン”が起こした事件!?
桝山:2010年11月に、”Fantasma”のリマスター版が出ました。アルバム1枚のみの通常盤と、CD2枚+DVDの初回限定盤。マスタリングに関する、専門的な話は、後でうかがうとして、まずは1997年の”Fantasma”オリジナル盤、制作当時の逸話とか、印象に残っていること、ありませんか?
P010 (2003年4月)
美島:うーん、何だろう…。今回の”初回限定盤”に入ってるブックレットでは、僕もしゃべっていて、多少書いてあるんですが、僕のローディ(アシスタント)が全然使えないヤツだったっていう(笑)、小山田さんの弁当食っちゃうし(笑)。
桝山:ローディさんというと、一般にはライブのために楽器や機材を運ぶために必要な人手、っていうイメージですが。レコーディングでもローディが必要だったんですか?
美島:当時は、外のスタジオも使っていたし、機材の移動がけっこうありました。まだ機材の量も多かったし、ローディ君が常についてました。でも、勝手に人の弁当を食ったりしやがって(笑)。
桝山:それって、能力の問題っていうよりも人として …(笑)。
美島:そう。今でも、小山田さんと”Fantasma”のことを思い出すと、一番覚えているのがそのことで”あいつ、俺の弁当食いやがって”って…。
桝山:食い物のうらみは恐ろしい(笑)。それって、人生においてあんまり経験しないですからね。
美島:アイツは常に、なんか食ってたよなと(笑)…。
桝山:それは すぐにクビにしたんですか?
美島:いや、そいつは一つだけ特技があって、ハンダ付けがスゴい。
桝山:それ、重要ですね(笑)。
美島:その後、コーネリアスがワールドツアーに行くじゃないですか、その時にケーブルとか、沢山作らないといけなくて、そいつがだいぶ活躍しました(笑)。
桝山:ハンダ付けマンとして(笑)。
美島:ハンダ付けマン。今でも、ヤツの作ったケーブルが現役で動いてます(笑)。
桝山:その方、今は何してるんですか?
美島:わからないです。名前…なんつったっけな?
桝山:あ、無理に思い出さなくても大丈夫です。ただ、名前が書いてあると、ご本人がこの記事を見るかもしれないじゃないですか…。でも、ハンダ付け重要ですよね。早くて、上手くて…。
美島:上手かったですよ〜。うん。
桝山:ケーブルに限らず、電気使う音楽やってると工作みたいな作業って必要ですよね。なんだかんだで。他に”Fantasma”では、何が大変だったんですか?録音の技術的なこと以外だと。
美島:曲をつなげて作るっていうのが。初めてだったのかな〜。最初から、そういうコンセプトだったんですよ。全体的に。
桝山:それは、何か理由があったんですか?
美島:まぁ、よく言われることですが、ビーチボーイズの”ペットサウンズ”を意識してるんじゃないかな〜。
桝山:ビートルズの”ラバーソウル”に強く影響を受けたのが”ペット・サウンズ”で、それを意識したのが”Fantasma”という流れになりますかね…。これは、あえて音楽評論家的な表現で言うと、今のコーネリアスにつながるアルバムって、やっぱり”Fantasma”だと思うんです、海外での発売もここからだし、最近のライブでセットリストに入る曲も多いし。ファーストやセカンドからの変化は、制作当時、感じましたか?
美島:そうですね。それまでは、色々と、これパクってみようかっていうのがあったけど。
桝山:おっと…。それ、言っていいんですか?
美島:え?いい…んじゃないんですか。このレコードをサンプリングしてみようか、そういうことですから。それが無くなって、アーティストの内面が出てきている感じになってきたと思いますよ。
桝山:なるほど。乱暴を承知で比較すると、ビートルズだって最初はロックンロールのカバーバンドから始まって、後から発表されたレコード・デビュー前のオリジナル曲って、それほどスゴくはないですよね。最初のシングル…何でしたっけ?
美島:んー、”Love me do”。
桝山:あれ、ジョージ・マーティンは”ジョンのハーモニカ(ハープ)が良かった”と言ってるそうですが、あえて言えば”うわー、これはスゴい!”っていう程じゃないですよね。実際、発売当時のチャートではイギリスでも17位までしか行かなかったし。
美島:あれは、まぁ、普通に…うん。
桝山:で、やっぱりその次のシングル”Please Please Me”は、今聴いてもスゴいというか、ドッカーンと爆発した感じがありますよね。
美島:そうですね。”Fantasma”もそういうところがあるから。みんなが色々言ってくれるのかなという気がします。ファーストやセカンドよりは、全然評価が高い。
桝山:…ですよね。作られていたご本人達も、そういう手ごたえはあったんですか?
美島:スゴいかとどうかは、ちょっと判らないけれど、今までと違う感じだなというのはありました。
桝山:どこかのインタビューで見たんですけど、ツェッペリンの”Stairway To Heaven(天国への階段)”あるじゃないですか。ロバート・プラントだったかな、あれは、やっぱり作ったときに、自分たちでも”スゴいもの作ったな”という感触があったと言ったそうです(桝山註:出展不明。どなたかご存知であれば、教えてください)。
個別楽曲解説・”MIC CHECK”・”MICRO DISNEYCAL〜”(part 1)
では、ここからは”Fantasma”の一曲一曲について、思い出せる範囲でコメントいただきたいと思います。
美島:えー!一曲ごとかぁ。覚えてないんだよなぁ…(笑)。
桝山:まぁまぁ。小山田さんのコメントっていうのは、あちこちに出てますが、美島さんのは貴重なので…。まずは”MIC CHECK”。あれは、私も 90年代初頭に何度か会ったことあるんですが、アーティストの藤原和通さんが作った、ダミーヘッド型マイクですよね。3Dで音が聴こえる。
美島:そうですね。あのマイクは録音するのが大変だった。最初、コンピュータやマルチトラックレコーダ、ヨンパチ(48)で録ろうと思ったら、うまく録れないんです。DATウォークマンに、ミニピンケーブルをつないで録ったのが一番良かったんで、それを使いました。
あのマイクすごい特殊で そういう風にやるとうまく録れないんですよね。だから、DATウォークマンにミニピンケーブルでマイク繋いで録ったのが、一番よかったんで。DATウォークマンで録ったのを覚えていますね。
桝山:最近、映画やTV受像機では3Dが話題になってますけれど、音の3Dって、あまり流行らないですよね。ネタとしては面白いけれど、音楽的には、そんなに要らないかなと…。
美島:そうそう。だから、”Fantasma”でも、あの冒頭のところしか使ってないですよ。
桝山:なるほど。でも、まぁヘッドフォンで聴いてください、っていうのはあったんですよね。
美島:そうですね。うん。
桝山:それはやっぱり、パンニングや音の定位に…
美島:凝りだした頃だからですね。
桝山:なるほど。個人的には”Fantasma”リマスター、初回限定盤DVDに入っている、”MIC CHECK”のライブが面白かったですけどね。あぁ、これライブでやってたんだって。
美島:”あ、あ、あ、聴こえますか?聴こえますか?”から始まりますからね(笑)。
桝山:ライブ本番なのに、今チェックしてるぞ、みたいな(笑)。で、次は”MICRO DISNEYCAL WORLD TOUR”。これは、アルバム全体を象徴するような曲ですよね。
美島:そうですね。
桝山:なんかよく言われている比喩は、”オモチャ箱をひっくり返したような…”
美島:まぁ…そうですかね。(曲を聴きながら)あぁ、小山田さんがタイトルで悩んでいたのを、ちょっと思い出したな。ホントは、Disneyっていう単語をそのまま使いたがっていたような気がするんだよね。
桝山:あー。
美島:うん。でも、それ、ダメでしょ(笑)。絶対ムリだから(笑)。それで”Disneycal”になったような気がする。確か…。
桝山:この曲、けっこう複雑ですよね。私なんかのイメージだと”オーケストレーション”に近いから、どうやって作ったのか、とても興味あるんですけど。
美島:どうやってやったんだろう…。あ、でもオケ入ってますよね、ストリングスとか、そのストリングスの譜面を書いたのは覚えているな…。プリプロの時に、シンセでシミュレーションして、こんな感じで行こうって決まったから。
桝山:シンセでシミュレーションする前の段階はどんな感じなんですか?楽譜があるわけでもないし…。”パララッ、パララッ、パララッ”とか歌ってる訳ですか?
美島:言ってたかな〜? 覚えていないんだよな〜。ん〜。あぁ。あとこの曲、シンセは全面ミニムーグを使ってます。ミニムーグにはMIDIがついてないから、CV(Control Voltage)に変換する機械でやってました。
桝山:あー、MIDI規格が出る前は、CV・GATEで音源をコントロールしてた…。
美島:そう。それで、ミニムーグって日にちが経つと音が変わっちゃうんですよ。だから、音を作って”これだ”と決めたら、すぐに録ってたな。ちょっと思い出しました。
桝山:”音が変わっちゃう”というのは?
美島:だから、フィルタの感じとかが。やっているうちに少しずつ変わってきちゃって。
桝山:ナマモノって感じ?
美島:ナマモノって感じです(笑)。
桝山:それは、電源の状態によったりとかするんですかね。あとは温度とか、マシンの機嫌とか(笑)。
美島:(笑)何かわからないんですけど、変わるんですよ。
桝山:だから、”この音が欲しい”と思ったときに録音しておかないと、二度と録れないって感じですね。
美島:うん。”感じが変わっちゃうから…”って言って録ってました。
桝山:今でも使うことあります?ミニムーグ。
美島:いやぁ、今はもう使わないですね〜。Logicの中に入ってるシンセでやっちゃってますね〜。うん。
桝山:(”MICRO DISNEYCAL WORLD TOUR”の0'40”付近を聴きながら)曲作りの過程をしつこくうかがいたいんですが…。ギターなら、小山田さんが自分で弾いてみて”こういう感じ”と説明するのはわかります。でも、こういうスキャットというか”ランパンパンパー”とか歌ってて、他には自分で演奏しない音が入ってるのは、どうやって…。
美島:仮歌を歌ってましたね。うん。あ、で、これはアレだ、ドラムがループだ。最初のところのリズムが。この曲は、結構、ネタ持ってきてますね。
桝山:それが、後から権利関係をクリアするのが大変だったってというヤツですよね。
美島:そうですね。うん。
桝山:それは全部、記録を取ってあるんですか?
美島:ポリスターのディレクターの長井さんがずっとこう”今の、今のは何ですか?何ですか?”って言ってたような気がする(笑)。
桝山:(笑)あぁ、そこ大事ですからね〜。じゃ、録音にもレコード会社の人がベタについていた…。
美島:ええ、ベタについてますよ。
桝山:そうですか。へ〜。それは、今も?
美島:今はいないです(笑)。
桝山:ですよね〜。ああ、この頃は外スタだから。
美島:外スタも使ってるし、プリプロもしてるし、プリプロは”いついつやる”っていうスケジュールがちゃんと出てたから…。これの時はまだアルバムの発売日とかも決まっていたんじゃないかな〜。だから、スケジュールがキツキツで、最後のマスタリングの時には、みんなデロデロだったような気がするんだよね〜(笑)。
桝山:レコード会社の方は、その意味で、ケツを叩く係りみたいなものでもあるわけですね。
美島:…です(笑)。
桝山:それ、今居たら大変ですものね。
美島:”いつ、やるの?今日、何してるの?何もしてないじゃん…。またYouTube?”…みたいな(笑)。
桝山:(爆)こ、これ、書いていいんですか?
美島:いや、わかんないけど(笑)。
桝山:面白い!(笑)担当者の方、大変でしょうね〜。
美島:そうですね…。でも、自分のスタジオを持ってると、そういう風になっちゃうのかな〜。
投稿情報: 2010/12/11 カテゴリー: インタビュー・コーネリアス関連 | 個別ページ | コメント (0)
中目黒ラジオは”サボったから”できなかった?!
桝山:こんにちは、この取材をしているのは2010年11月ですが、毎年お正月にある”中目黒ラジオ”が今回はナシということで、その理由からうかがいたいのですが…。
美島:単に、サボっちゃったっていう(笑)。
桝山:えーっ!(笑)誰が?
美島:小山田君が…(笑)、”ちょっとネタが~っ”て言ってたような気が…(笑)。
桝山:こ、これ書いていいんですか?
美島:わかんない(笑)。まぁ、サボったってことで。
P008 3Dスタジオ(2006年6月)
桝山:やりたくなかった訳ではないけれど、日本に居ない時期も多かったし、間に合わなかったと…。
美島:そうですね。 今年は夏の中目黒ラジオも、海外が多かったりで、ちょっと出来なかった。
桝山:そうですよね。何で僕がフォローしてるんだろう(笑)。中目黒ラジオの作業は 長年やられているんで、ある程度パターン化していると思うんですけれど。どういう形で始まるんですか?
美島:まず、小山田さんがアイデアを出して、それに合うような映像を…
桝山:探す?
美島:そう。NHKからビデオが大量に届くんですよ。
桝山:じゃ、小山田さんのアイデアに合わせてネタを探す”人間グーグル”みたいな人が、NHKの中にいるんですか?
美島:いや、NHKアーカイブでタグ(キーワード)が全部ついているのかな。そのアーカイブのタグでもって、検索して…。
桝山:”村の祭りのなんとか…”とか?
美島:そうそう。そうすると、その映像やニュースとかをダビングして持ってきてくれるんです。
桝山:それが、時折mixiの美島さんページに写真を載せている素材ですね?
美島:そうそう。VHSとかですね。
桝山:じゃあ、たとえば今年なら谷啓さんが亡くなったのでクレイジーキャッツがあって…、みたいに、いわゆる放送作家的なことをやっているわけですよね?
美島:そうです。
桝山:じゃ、その台本に合わせて使えそうな素材をダーッと見たり聴いたりするわけですか?
美島:はい。ダーッと見たり聴いたりします。2日か3日かかけて。
桝山:小山田さんと2人で?
美島:うん。量が多いので、何が何だか、訳がわからなくなってきますよ(笑)。
桝山:私も昔、ほんのちょっとですが、映像やラジオの仕事していたんでわかりますが、それはかなり”編集監督”的な作業ですよね。
美島:そうですね。
桝山:放送作家的な部分とアリものを編集するという。
美島:ええ。
桝山:その時の美島さんの役割は?
美島:映像を見ながら、使えそうな言葉やフレーズが出てきたら、全部ハードディスクの方に音声取り込んで、ストックしておきます。
桝山:音楽作るときは、美島さんが結構クリエイティブな部分での意見を言うって、言われてたじゃないですか。中目黒ラジオの時には言うんですか?
美島:いや、”これ、面白いね”ってなったら、”RECボタン”押しとくみたいな。
桝山:ああ、それはどちらかというと、スタジオのエンジニアさん的なことですかね。
美島:そうですね。
桝山:じゃあ、結構小山田さんが一人でやっているんですね。中身については…。
美島:そう、そうですね。テーマを選んだり。
桝山:NHKの人とかは あんまりかかわらない。
美島:関係ないですね。
桝山:で、最後に”こんばんは、小山田圭吾です”というナレ録りをすると。
美島:そうですね。ナレーション。
桝山:それはどこで?
美島:それは、いつもやってる中目黒のスタジオで。
桝山:あ、あそこでナレ録りを?NHKじゃないんだ。
美島:違う違う。全然違う。
桝山:あのナレーターさんは、決まった人がいるんですね。
美島:そうですね。XXさん(非公開だそうです)という方が…。
桝山:全体で、1ヶ月くらいかかる作業ですか?
美島:いや、そんなには。1週間くらい。
桝山:そっか、詰めてやりますからね。
美島:うん。もう、素材が集まれば、あとは並べ替えとかの作業なので、それほどかからない。
桝山:なるほど。
美島:やっぱ、素材を選ぶのが大変なんですよ。
桝山:わかりますわかります。プレビューがね。
美島:そうそう。
桝山:まあ、同じ素材ばかりを見るわけじゃないから、目先は変わってゆくけれども、これをどういう風に合わせようというのに、正解はないですからね。
美島:だから、かけたい曲がはっきりしていても、その曲につながる素材を見つけるのが結構大変ですね、いつも。
桝山:まあ、こじつけ(笑)。
美島:こじつけ(笑)なんですけど(笑)。
桝山:で、中目黒ラジオは今回はやらない。でも、2011年はやる可能性は高いと。
美島:やるんじゃないですかね。うん。
桝山:ま、保障はできないけど。
美島:うん(笑)。
コーネリアスの新アルバム、どうなってますか?!
桝山:でも、来年はコーネリアスとしてのアルバム制作も、ファンとしては気になるところですが…。もう前回の”Sensuous”(2006)からまる4年…。
美島:うん。制作の時点から考えると5年以上経っちゃってるから。ちょっと、ヤバいんじゃないかとと思ってるんだけど(笑)。2011年から作り始めても、出るのは2012年になっちゃいますからねー。
桝山:えー、これは、あくまでも”美島さんから見て”でいいんですけれど、小山田さん本人は、”そろそろ、アルバム作りたいな”と思うものなんですか?それとも、”大人の事情”がなければ別にいいや、っていう?
美島:あぁ、わかんない。どう考えているのか、ちょっと見えないとこですね(笑)。
桝山:でも、今の話は書いていいんですよね?少なくとも美島さんは”もうそろそろ作らないといけないのでは?”は思っていると。
美島:(キッパリと)ええ、僕は思っています。常に思っています!
桝山:そこ重要だ(笑)。みんな”そろそろ”と思ってますよね。世間的には…。
美島:じゃないですかね〜。
桝山:そろそろ作り始めているんだろう、みたいに思ってますよね。
美島:ん〜(困った顔)。
桝山:でも…、まだ作り始めてないんですよね…。
美島:ないですね〜。
桝山:”Sensuous”のアルバムの中では、かなり初期に作り始めていたという”Wataridori”みたいなことは…。
美島:うーん。ないかな〜。
桝山:そっかー。じゃあ、これ以上追求しないようにします(笑)。まぁ、いずれにしても、この取材は毎月コンスタントにさせていただく予定なので、発表いただける段階になったら、美島さんから根掘り葉掘り聞き出したいと思います(笑)。
美島:まぁ、発表できる範囲なら(笑)。
桝山:こうして、色々話をうかがうと、ホント、いわゆる音楽制作の仕事意以外でも、小山田さんは美島さんと2人チームでの作業が多いんだなというのがわかります。ご本人達は当たり前だと思っていても、見てる側からはわかりませんよね。なんか別のチームがあるのかなとか…。
美島:いやいや、もうツァーで使う映像とかも…、まぁ、撮影はジック(辻川幸一郎さん)とかがやっているけれど。最後にライブ用に曲順並べ変えたりとか。そういうのは全部僕がやってます。
P009 ツァー用のカラーバー画像を制作する美島さん (2007年7月)
桝山:その意味では、ホント、音楽的な部分もあるでしょうけど、美島さんが居ないと、コーネリアスの制作作業は、相当大変ですよね。
美島:俺が死んだら、データがどこにあるか多分わからない(笑)。
桝山:(笑)いや、そういう問題じゃなくて(笑)。データを探すのは、多分、時間かければできると思うんですが、制作、プロダクションの今のやり方はできなくなるじゃないですか。ツァーとかも かなり困るんじゃないんですか?
美島:まぁ…そう…ですかね〜。いやぁ、小山田さんとは、つきあい長いですからね〜、どんどん深いところに入っていっちゃうんですよ…(笑)。
投稿情報: 2010/12/10 カテゴリー: インタビュー・コーネリアス関連 | 個別ページ | コメント (0)
”コーネリアス・Fantasma・マスタリングって何?ナイト”。
97年発売のサード”Fantasma"は、コーネリアスの海外デビュー盤であり、最近のライブでもセットリストに入る曲が多いという意味でも、重要なアルバムだと思われます。それが、砂原良徳さんによる”リマスター”で、2010年11月、新たに発売されました。
また、Fantasma発売当時のライブ映像などを集めたDVD、アルバム未収録曲や他アーティストによるリミックスが入ったCD(マスタリングは美島さん)とのセットになった限定版も出ました。
それを記念して(というほどでも無いのですがw)、11月20日、東京大井町のMusic bar "Onpa"で、”Fantasmaナイト”を行いました。目玉は、美島さん提案による”97年版マスタリング前”と、”2010年リマスター後”の聴き比べ。
”マスタリング”というのは、いったんミックスダウンが終わった楽曲を、アルバムにまとめる際、曲ごとの音量や音質を微調整したり、曲アタマのキューを打ったりする作業です。また”コンプレッサー”という機材を使って、”音量を稼ぐ”という意味もあります。
プロもびっくりのオーディオ・システムが揃っているMusic Bar "Onpa"。左端に美島さん。
私たちでも、自分で選曲した曲を次々に聴いていると、ときどき曲によっては、他の曲より音量が小さくて聴こえにくいものがあったりしますね。1つのアルバム全体の中で、そういうことが無いようにするのも、マスタリングの目的の一つです。
…とはいえ、リミックスとは違い、マスタリングはシロウトにはわかりにくい概念であることも確か。そこで、実際に”マスタリング前”のモノを聴いてみよう、という主旨です。曲ができて、トラック毎のバランスを取った”ミックスダウン”が済んだ後、しかし”マスタリング”の前、という状態です。
まず最初に97年のオリジナル版、マスタリング前を聴きました。Onpaのオーディオ・システムだと、普通ではまったく聴こえないような重低音が、とんでもない迫力で聴こえるのですが、”マスタリング前”のものは、特に低音を強く感じます。美島さんが、”God only knows"を聴きながら”クスクス”と苦笑し続けているので、理由を聞いたところ…。
”いやぁ、こんなに低音入れなくても良かったかなと…(笑)。この低音入れようって提案したのは僕だったかもしれない…”と言ってました。
その後で2010年の砂原マスタリング。1曲めの”Mic check"が始まった途端に美島さんが…。
”あぁ、この時点でもう音量が全然違う!”
確かに、アンプの音量はまったくいじっていないにもかかわらず、イメージでいうと、”マスタリング前”に比べると、3割増しくらいの音量に聴こえます。シロウトには、微妙な音質よりも、まず明確にマスタリングの意味がわかった瞬間でした。
美島さんによると”今回のリマスタリングは、発売から13年経ったので、今の時代にあった、現代的な音にするという意義があります”とのことですが、確かに言われてみると、低音が閉まって、全体にクリアに聴こえる気がします。それにしても、Onpaのシステムで聴く2010年版・Fantasmaも、普通のシステムで何となくプレイするのとは、まったく違う異次元な音。参加者の方の一部のツイートを引用してみます。
gammeさん @MASU_YAMA @technorin 普段はヘッドフォンで聞いてる派の身には、この低音の聞こえてくる時差感みたいなのが人工的っぽさと生っぽさの相乗効果でキますー
怒涛のFantasma聴き比べの後は、来場していた、無印の広告(TVCF・Webなど)でコーネリアスと仕事をされているアートディレクターの阿部洋介さんのリクエストで”Muji Motion"を24/96で(リンク先、音出ます)。
その後は、コーネリアスのアルバム未収録の歌もの、インストものをちょこっと24/96で聴き、たまたまこのイベントと日程がカブっていた(ホントにたまたまです)”中目黒TV”のUstream中継を、みんなで見る。Fantasmaからの曲が多いので、この夜、我々は3時間くらいの間に、2.5回、Fantasma を聴いたことになります。どんだけ好きなんだ(笑)。
最後は、”Sensuous"の24/96をかけながら、皆さん歓談。お店の閉店ギリギリまでねばってしまいました。
終了後に、参加者の方からいただいたツイートを少し…。
abysk さん @MASU_YAMA @separate_stem 桝山さん美島さんありがとうございました!確かに日常では味わえない体験でした。触覚で聴いてる様でした。いろいろお話も伺いたかったですがまた是非!
sato3104 さん @MASU_YAMA 先日はこれでもかとFANTASMA堪能させていただきました。特にミックス前のオリジナルなんぞ聴きたくとも聴けない代物まで。ありがとうございました!
nurumo さん @separate_stem @technorin @MASU_YAMA 昨晩はお疲れ様でした、またも素晴らしい空間を提供頂きほんとに楽しかったです♪( ´▽`)女子率高かったですね!
pandachopanda さん @MASU_YAMA 昨晩は凄く楽しかったです!最高に気持ちが良い夜でした! いつかあの設備でメタルも聴きたいと野望がメラメラと。 初参戦でしたが良い思い出となりました。ありがとうございます。
いやー、喜んでいただけたようで、ホントに良かった。美島さんの気が向けば(笑)、また何かやるかもしれません(今回は一般募集する前に満席になってしまいましたので、ここでは事前にお知らせしませんでした。ご了承ください)。
企画・コーディネイト:MASU_YAMA (on Twitter)
右はOnpaのオーナー、Iさん。いつもお世話になってます!
投稿情報: 2010/11/22 カテゴリー: 美島さん・出演イベント | 個別ページ | コメント (0)
美島豊明さん ロングインタビュー
桝山:えー、インタビュアーのマスヤマです。この記事を見る方むけに、最初にお話しておくと、私は美島さんとは、単に個人的な友人で、コーネリアスの仕事でかかわっているわけではありません。とはいえ、美島さんのお仕事には強い興味があるので、ウェブサイトを作らせてくださいと提案し、取材することになった次第です。このサイトとコーネリアス、所属事務所の3Dさんとは、直接の関係はありませんので、ご承知おきください(写真の掲載は、許可いただいています。再利用はご遠慮ください)。
さて、どこから行きましょうか?コーネリアスのファンでも、自分で音楽を作るような人、雑誌”サウンド・アンド・レコーディング”を読むような人は、美島さんがコーネリアスの音楽作りにおいて、どういうことをやっているのか、だいたいイメージできると思うのですが、そうじゃない人、普通のファンは…。
美島:まったく何をやってるか、わからない…(笑)。ステージに立って演奏するわけでもないし…。
桝山:そうですね。クレジット表記も”プログラミング”だと、まぁコンピュータで何かやってるのかな?くらいの(笑)。そして、これは私の勝手なイメージですが、美島さんの役割って、ビートルズにとってのジョージ・マーティンなんじゃないかと思ってます。
美島:いやいやいや、そんな大それた(笑)。まぁ、ジョージ・マーティンは大ファンというか、ある意味では目標でもあるので、そう言っていただくと嬉しいですが。
桝山:ジョージ・マーティンと初期ビートルズは、レコード会社の経験豊富なプロデューサーと、地方都市で人気が出始めた若者バンドという感じで、年齢もビートルズよりジョージ・マーティンの方が全然上ですから、人間関係としてイメージしやすい。一方、美島さんの本来の立場はフリーなんだけれど、コーネリアスの仕事を長年やられていて、業界的には”専属?”のようなイメージもありそうで(笑)、その辺も含めてお仕事の様子をうかがって行きたいと思います。今日は、スタジオなどでの写真を持ってきていただきました。
P001(2003年2月)
美島:自分のデジカメ・ファイルなんですけど、だいたい私が撮っているから、自分はあまり写ってないんですよ…。作業中の典型的な写真が、P001です。私がコンピュータに向かっていて、小山田さんが立って横から見て、あれこれ言っているという。”Point”よりは後だけれど、”Sensuous”には、まだ取り掛かっていない時期かな。
桝山:一応、私なりに説明しておくと、コーネリアスの音楽作りは、普通にギターを弾いたり歌を歌うことも、もちろんあるんだけれど、コンピュータでの作業がとても多いので、こういう形になるということですね。録音した音を編集するのも、シンセサイザーの音作りもコンピュータでやってしまうと。で、そのコンピュータでの作業は、ほぼすべて美島さんが担当しているわけですね。
P002(2000年6月)
美島:そうですね。持ってきた写真の中で一番古いのが、P002です。”Point”を作り始めた頃のセットアップじゃないかな。デジカメを買ってすぐに撮った。
桝山:おお。機材に興味がある人には嬉しい写真(笑)。マックが、まだG3だ。
美島:マック本体の前に、僕の携帯電話と”パーム”(ハンドヘルド型の電子手帳)が見えてます。モニターの右のラックに入ってるのが、サンプラー、イミュレーター4です。あと、なんだろう…。ローランドの音源かな?まだ、ハードウェアの音源使っていたんですよ。大きいキーボードは、今でも使っているコルグのトライトン。下にプロトゥールズがあって、O2R(ミキサー卓)で、左の赤いキーボードはノードのモジュラーですね。でP003、オレが”ロッキン・オン”を読んでる(笑)。
桝山:10年前だから、やっぱり若いですね。レディオヘッド特集を熟読(笑)。誰が撮ったんですか?
美島:小山田さんだったかマネージャーの人だったか…。この頃は、まだデジカメがあまり普及していなかったから、みんな面白がって、”ちょっと撮らせてよ”って。P004は、コルグのシンセをいじってます。左のはムーグ。何やってたのかな…。”Point”の頃なんだけど…。
P004(2000年12月)
桝山:マック本体の前にある新聞は、美島さんが持ってきたんですか?
美島:そうです。でも、なんでこんなところに新聞があるのか、わからないんだけど(笑)。
桝山:ちなみに何新聞ですか?
美島:朝日です。P005は、僕がベース弾いてるんだな…。なぜ弾いてるのかは、よくわかりません(笑)。
P005(2001年1月)
桝山:こうやって美島さんが、キーボード以外の楽器を弾くこともあるんですね。
美島:んー。まぁ、たまに、素材としてサンプルすることはありますね。これは、多分ベース弾きながら、グィーンってチューニングを下げるみたいなことをやったんだと思うんだけど…。開放弦じゃなくて、フレットを押さえて弾いてるから、一人じゃできないんです。小山田さんが、チューニングを下げて、それを録っている最中だと思います。この音を、実際に曲の中に採用したかどうかは、覚えてないですが…。
桝山:”Sensuous”の1曲めで、ギターの開放弦をゆるめていくのと似た感じですね。
投稿情報: 2010/11/20 カテゴリー: インタビュー・コーネリアス関連 | 個別ページ | コメント (0)
美島豊明さん ロングインタビュー
桝山:小山田さんは、コーネリアス名義の、いわゆるアルバムを作る仕事だけではなく、広告だったりリミックスだったり、最近ではプラスティック・オノ・バンドもあったし、色んな形でも仕事があると思いますが、コーネリアス名義のアルバム制作に限ってうかがいます。アルバムを作るときは、まずは企画というか、誰かがやろうと言って始まるわけですよね。それは誰が?
美島:それは、やっぱり小山田さんですね。
桝山:打ち合わせとかあるんですか?
美島:いやぁ、特に、何も無く…。いきなり始まっちゃいますね。
桝山:始まる時には、曲の断片のようなモノや、ラフなデモがあったりとか?
美島:(キッパリと)無いです!
桝山:ゼロ?
美島:ゼロですね。まぁ、ファーストアルバム(”THE FIRST QUESTION AWARD”)やセカンド(”69/96”)の頃は、コード進行が事前にあって、こうしたいんだという希望が…。
桝山:それはコード譜ですか?
美島:いや、彼の頭の中に入ってるんで、”こうしたいんだ”と実際にプレイしてイメージを伝えてました。
桝山:それが15年前くらいの話ですね。で、今は?
美島:来てから考える(笑)。P006は3D(コーネリアスの所属事務所)の岡社長と僕のツーショット。社長の誕生日が4月の1日か2日で、僕が4日なんで。
桝山:あぁ、だからケーキが2つ(笑)。
美島:P007では、もう”Point”のミックスダウンが始まってますね。”Point”か別の作業かはわかりませんが、まだトラックダウンには外のスタジオを使ってたんですね。48(チャンネル)のマルチ(トラックレコーダー)が回ってるもんな…。場所は、どこだろう?青葉台かな?ちょっと確定できないです。この頃はまだ、外のスタジオではプロトゥールズ無いんですよ。プロトゥールズから一旦48にデジタルで流しこんで、48でミックスしていた時期ですね。
桝山:今はもう、全部マックでできちゃいますもんね。プロトゥールズの導入は早かった?
美島:そうですね。プロトゥールズのバージョン3だったかな、最初に買ったのは。まだ24ビットでは録れなかった。16ビットの44.1Khzか44.8だけで、そんなに音が良くなかったから、ディレクターさんによっては”こんなのダメだよ”とボロクソに言われて、クソーと思ったのを、よく覚えてます(笑)。
桝山:やっぱり、マルチだよ、テープだよ。みたいな?
美島:そうそう(笑)。
桝山:えー、ここの所はしつこくうかがいたいんですが、曲作りは具体的には、何から始まるんですか?まぁ、曲にもよるんでしょうが。
美島:んー。とっかかりが、曲によって毎回かなり違うので、んー、よく覚えてないんだよなぁ…。
桝山:たとえば、楽器を持って弾いてみて、何か気になる音があったら、そこから始めるとか?
美島:そうですね。テンポから始まることもあるし、こういうコード進行をピアノで入れてみてよ、って言われてMIDIで鳴らしてみることもあるし。でもやって行くうちに、テンポもコード進行も変わってきちゃうんで、最初のとっかかりがどこだったかは、わからなくなるっていうのが正直なところですね。
桝山:ふむ。ということは、建築の比喩でいえば、設計図があって、それに従って作っていくというより、”木で行こう”とか”コンクリで行こう”などの発想があって、もう作っちゃうと。
美島:とりあえず建ててみよう、ですね。そういう作り方ができるのが、今のレコーディング技術の一番…
桝山:いいところ?
美島:良さでもあるし、袋小路に入り込みやすい理由でもあります。そうやってガーッと作っていって、ある程度の所まで組みあがったら、僕は一回バラすんですよ。解体したモノの素材を、もう一度厳選してそろえてから、もう一回組み直すんです。
桝山:ふむふむ。”バラす”って、どういうことですか?たとえば、ドラム、ベース、ギター、ボーカルで、ある程度まで組上がっているとして。
美島:ドラムの音色にしても、フレーズにしても、最初は適当に、というか”仮”で入れているので、それぞれの素材をバラバラにして、もう一回、一からコードを入れなおすとか…。具体的にいうと、6度の和音だと思っていたら、実際にほしい響きはサーティーンス(13度)だったとか。そこを入れ替えるとベースラインも変わってきますし。
桝山:その”バラす”タイミングというのは、どのあたりなんですか?
美島:曲の行き先、全体像が見えてきたときですね。
桝山:それが見えてきたかどうかは、誰が判断するんですか?
美島:いや、それはなんとなく、二人で”曲の雰囲気が見えてきたね”っていう感じになるので。翌日、僕が早めに来て作業したりして、それをまた聴いてみるという。そこから、また新たに録音したりもします。
桝山:確か”Sensuous”が出た頃のサンレコ誌に、小山田さんと美島さんのインタビュー記事があって”1曲の全体像が見えるまでに、1ー2週間くらい”と書かれていたと思うんですが。
美島:そうですね。リミックスだと2−3日で見えてくるけれど、まったくゼロから作ると1週間くらいはかかります。で、バラして、もう一度組み上げた後は、細かい部分をさらにツメて行くことになります。
桝山:そのとき、歌は入ってるんですか?歌詞は?
美島:歌ものは、歌が入ってることもあるし、MIDIでメロディを鳴らしていることもあります。歌詞が入るのは一番最後です。作詞の過程は、僕にはまったくわからない部分。
桝山:歌が入ってるときは、仮歌が入ってると。
美島:そうです。ドレミで歌ったりしてます。
桝山:小山田さんは、五線譜あまり使わないと以前うかがいましたが。
美島:譜面は無いです。頭の中にあるメロディを、音程のドレミに置き換えてるんでしょうね。
桝山:プロだから、当たり前なのかもしれませんが、普段、五線譜を使わないのにドレミで歌えるって、スゴいですね。
美島:まぁ小山田さん、耳はすごくいいですからね。仮歌が入っていても、作っているうちに、また変わっていったりしちゃいます。
投稿情報: 2010/11/19 カテゴリー: インタビュー・コーネリアス関連 | 個別ページ | コメント (0)
美島豊明(みしま・とよあき)さん ロングインタビュー #001
桝山:こんにちは。さっそくですが、肩書きは音楽の”プログラマ・エンジニア・プロデューサー”でよいでしょうか。
美島:そうですね
桝山:経歴をざっとお願いします。
美島豊明さん 4才9ヶ月(1966年11月?)
美島:1961(昭和36)年、千葉生まれ、実家は父が経営していた居酒屋です。私もバイト的に手伝ってました。
桝山:おっ、じゃあ、魚を三枚におろせるとか!?
美島:うーん、もう忘れちゃったなぁw。大学は普通の文系で、卒業して少しだけ就職していましたが、シンセのレンタル会社に転職して、そこから音楽の仕事ですね。
桝山:1980年代中期というと、まだ”マニュピレータ”とか”オペレータ”と呼ばれていた頃ですね。シンセの操作が複雑化だったで、専門家が必要だった。
美島:そうですね。ミュージシャンとしては、80年代中期に、細野晴臣さんのレーベル、ノン・スタンダードで”ワールドスタンダード”をやっていたソウちゃん(鈴木惣一郎さん)と、80年代後期にエブリシングプレイというグループをやりました。
桝山:コーネリアスとは、デビュー以来ですか?
美島:はい。あぁ、フリッパーズギターの時も、最後のアルバムで2曲くらいやったんだけれど…。どの曲だっけな…。グルーブチューブだったかな?今いち思い出せません…。
桝山:ええっー(まぁ、プロってそんなものか…)。まぁ、そのうち思い出してください。まぁ、コーネリアス関連の話は、おいおい、ゆっくりうかがうとして…。子供の頃の音楽体験から、教えていただけますか?
美島: 自分で意識的に聞いた最初はビートルズですが、もっと小さな頃、夜寝る前に、よくモーツァルトがかかっていました。 昭和40年くらいの話なので 母方のジイさんの形見で、多分SP盤です。自分が小学生の頃は、まだ SP盤のプレイヤーの方が当たり前で、LPの方が珍しかったような気がします。やけに重たかった覚えが…。
その、母方の祖父は車のエンジニアだったんですが、もともと軍隊で飛行機の整備士をやってました。祖父は、耳がよかったらしくて…。当時は計測器がないから、音で機械の具合を計るというか診るんですね。戦後は、いすゞ自動車でバスの設計をやっていたらしいです。
母方のお祖父様(時期不明)
桝山:おぉーっ。カッコいい!!白洲次郎みたいじゃないですか!よく見ると、このバイク、ハーレーダビッドソンだし!
美島:他人のバイクの前に立ってただけじゃないですかねぇ…。後ろにあるのは複葉機だから、戦前なんでしょう。見る人が見ると、いつ頃なのかもわかるのかな。
桝山:耳がよかったって、音楽の仕事に直接結びつきますね。確か、美島さんの弟さんも…。
美島:ピアノの調律師です。
桝山:ほほーっ。音楽一家ですねぇ
美島: 母方の系統で、隔世遺伝かと…。 母は山口県生まれです。歴史上の話ですが、長州藩の一部は、戦国時代に毛利元就(もうり・もとなり)が出る前、大内家が治めていました。母方の祖母は、そ の大内家の家臣で、”弘中 隆包(ひろなか・たかかね)”一族の最後の生き残りだったんですよ。
桝山:おお!Wikipediaにも出てますね。 ”弘中氏は清和源氏の流れを組み、壇ノ浦合戦後から代々岩国の領主を務めていた家系である”(Wikipediaより)
桝山:また、この写真も、さすがに気品があるというか…。世が世なら、我々シモジモのものは、顔も見られないという…。
美島: 祖母の父、つまり、私のひいジイさんの時に、鉱山か何かに手を出して、全部すっからかんになっちゃたんです。それで、どうしようも無くなって、東京に来た と。ばあちゃんが子供の頃だから、明治後期ですかね。男の子が居なかったので、弘中家はそこで絶えてしまって、もったいないねと言われたそうです。 バアちゃんは、よく子供たちを集めて、お前たちにバクチ打ちの血が流れてるから気をつけろと言ってました。子供ごころには、何だ?とは思ってましたけど、後から話を聞くと、ああ、そういうことかとw。
桝山:長州藩は明治維新で天下を取りましたが、いわゆる”武士の商法”で、失敗しちゃったんですかね。でも、”住友家”が江戸時代以来の資産家で、明治以降は大財閥になってゆくのも”銅山”ビジネスが大きかったわけですから、夢もあったんでしょう。
美島: 父方の実家は、奄美大島なんです。群島の中に喜界島(きかいじま)という小さな島があって、祖父は明治の終わりか大正の始め頃、徴兵で東京に出てきて、そ こで知り合った人に誘われて警官になったのかな?そこから、また人づてで紡績機・織機を作る会社に勤めて、それなりに出世して重役になったということで す。。
桝山:トヨタも元は織機ですし、当時のハイテクですね。奄美群島は、鹿児島県ですが、文化的には沖縄(琉球)に近いですよね?
美島: そうですね。バアさんの友達が家に来て、琉球踊りみたいなのをやっていたときの衝撃は、今でも覚えています。まず、言葉が分からないんですよ。バアさん同 士が、全く日本語じゃない会話をしていて、「この人たち、英語が喋れる!」って子供ごころに思いましたw。その後、相続したので、喜界島に土地がありま す。そこには誰も住んでませんが、親戚は居ます。何回か、遊びに行ったことあります。
桝山:美島さんご自身の生まれ、育ちは昭和30年代の千葉ですね。
美島:幕張です。両親が千葉に来たのは、母方の祖父と父方の叔父が、戦後すぐ結核になっちゃったからですね。当時はまだ都心よりも空気が良かったから、結核の療養に来る人が多かったみたいです。その頃の幕張は、今とはまったく違う、ひなびた漁村ですね。
美島豊明さんとお母様 (昭和36・1961年)
桝山:いわゆる”江戸前”の貝や魚ですか?
美島:僕が生まれた頃は、 まだ海が残っていて、 海苔作りや貝の潮干狩りが盛んでしたね。主にアサリです。バカ貝(青柳ともいう)は、バカでも採れるからバカ貝って聞いたことありますが、アサリは、砂浜 で”目”を見つけないと採れないんですよ。地元のバアちゃん達に、「ここ、貝だから掘ってごらん」ってよく教えてもらったんですが…。もう忘れちゃった なぁ。
桝山:音楽への興味は?自宅にあるテープレコーダーで遊んでたとか?
美島:ありましたね。ジイさんの形見のSP盤もオーディオもあったから…。最初に買ったレコードは…、何だっけな?「帰ってきたヨッパライ」(1967)だ!まだ5-6才だから、親に買ってもらったんですね。
桝山:私も8-9才でしたが、よーく覚えてます。まぁ、子供はあぁいうチップマンクもの(テープの回転数を早めて声を高音にしたもの)で、ふざけたもの、好きですよね。
美島:その後買ったレコードで、覚えてるのは「走れコウタロー」(1970)です。当時は歌謡曲が全盛で、周りでも人気ありましたが、自分はあまり興味持たなかったので、今から考えれば”企画モノ”が好きだったのかなぁw。
桝山: まぁ「ヨッパライ」も「コウタロー」も、かなり”プロデュースされて”ますからね。日本では、三木鶏郎さんやクレージーキャッツなど”冗談音楽”の系譜も 強いし…。いずれにしても、流行ってればいいわけではなく、子供の頃から音楽の好みが、はっきりしていたんですね。楽器の習い事は?
美島:ピアノ、あ、オルガン教室が最初ですね。幼稚園のとき。小学校からはエレクトーン。中学でピアノをやったような気がする。楽しかったですね。練習がイヤイヤとかはないですね。
桝山:では、ある程度弾けたんですね。楽器習う人は多いけれど、だいたい最初の数カ月で挫折するじゃないですか。
美島:んー、結構楽しくやってましたから、それなりに楽しく弾けていたのではないかと思いますよ。今は、全然指が動かないけれど…。
桝山:発表会とかでほめられたとか? 美島:あぁ、そういうのもあったなぁ。
桝山:どういう曲をやってたんですか?
美島:そのとき好きだったのは、ボサノバとかニーノ・ロータとか。
桝山:おぉ。もう最初から、ポップスの中でも、もっとも洗練された部分を!テンションの入った複雑なコード(3和音・4和音にさらに音を加えたもの)がいっぱい…。
美島:んー、どうなんでしょう。僕は”イパネマの娘”でも、譜面から先に入ってますからね。後から原曲聴いて、こんな曲なんだと思ったくらいで…。
桝山:音楽以外は、どうだったんですか?スポーツや勉強は?
美島:スポーツは、それほど…。水泳やっていたくらいで…。千葉市立の幕張小学校。全部の教科が好きで、 成績も良かったですよ。それが学生時代を通じて学習のピークw。音楽は小5か小6くらいから、すごく好きになりました。ビートルズですね。
たまたまテレビで、映画の「ヘルプ!」(最初の公開は1965)だったと思う…をやっていたんですよ。あと、ラジオでビートルズ解散の特集で「あ、コレだ」と思いました。近所にいたお兄さんもちょっとビートルズ好きで。教えてもらったこともあります。
桝山:ビートルズ好きだと、ギター弾きたくなりません?
美島:中学に入ってから、習いに行きましたね、親に頼んで。クラシックギターを半年くらい。当時は、フォークやエレキギターを教えてくれるところなんか無いですから。もう、今ではダメです、指動かない。楽器は全部、指動かなくなっちゃってダメですね…。
投稿情報: 2010/11/01 カテゴリー: インタビュー・少年時代 | 個別ページ | コメント (0)